八重洲の歴史

“夢を抱く人”が集う街、日本の交流と成長の中心となってきた街、八重洲

「八重洲」の地名は、江戸時代初期に日本に来航し、徳川家康の信任を得て、日本と世界を結ぶ朱印船貿易を推進したオランダ人航海者ヤン・ヨーステンに由来すると言われています。

江戸時代、現在の八重洲が所在する場所には、桶町、元大工町、北紺屋町、南鍛冶町といった地名が並び、様々な職人が集う「クラフトマンシップ」溢れる街でした。明治時代以降は、日本橋川沿いに近代産業(銀行業、金融業、保険業、運送業など)が発展しました。

1914年(大正3年)に東京駅が開業し、1929年(昭和4年)に八重洲口が開設されると、地方から企業・ビジネスパーソンが集まり、「日本経済成長の中心地」へと変遷していきました。日本の産業界を代表する幾多の企業が八重洲を拠点に東京に進出し、日本全国、世界各国へと活動を広げていきました。このように八重洲は、江戸時代から続く、“夢を抱く人”が集う街であり、日本の交流と成長の中心として栄えてきました。多様な働き方を実現させる最先端の街「東京ミッドタウン八重洲」が誕生します。

先進性を表現した外装デザイン

「東京ミッドタウン八重洲」の外装には、日本で初めて、アメリカの建築事務所「Pickard Chilton(ピカード・チルトン氏)」による先進性を表現したデザインを起用しています。

 建物が面する外堀通りは、江戸城の外濠が水路であったという歴史から着想を得て、風をはらんで大きく膨らむ意味の「Billowing Sail」をコンセプトに、行き交う船や帆をイメージし、東京駅前という立地に相応しい、現代的で洗練された建物デザインとなっています。